野村不動産の「OHANA(オハナ)」が登場したのは、2011年のこと。3月11日の東日本大震災を経験し、日本中が苦難から立ち上がろうとしていた秋に第1号のモデルルームがオープンした。
始まりは、2008年。「多くの人にとって購入しやすく、幸せになってもらえるマンションをつくろう」という願いを込めて「OHANA」の企画はスタートしていた。
3年の準備期間を経て、まさに日本中が再び幸せを目指しはじめた時期に、「幸せ」をテーマにしたマンションが誕生したことになる。
「OHANA」は、ハワイ語で「家族」「家族の絆」を意味する。東日本大震災を経験した日本も「絆」を大事にしていたので、今から考えると不思議な一致があったわけだ。
多くの人を幸せにしたい、絆を大事にしたい、との思いを込めた「OHANA」は第1号として「オハナ 八坂萩山町」を分譲。続いて、第2弾「オハナ 平塚桃浜」と第3弾「オハナ 豊田多摩平の森」が相次いで登場し、「オハナ 平塚桃浜」と「オハナ 豊田多摩平の森」は、3ヶ月程度の短期間で完売した。
「OHANA」の理念(考え方)が認められた瞬間だった。
しかしながら、その後にマンションを取り巻く環境は変わっていった。
2013年に「2020年東京五輪」招致が決まってから、都心を中心にマンション価格が上昇。同時に、マンション購入に際して、資産価値重視の考え方も広まった。
「将来、高く売れること」や「将来、高く貸せること」を重視する風潮が広まり、資産価値の面で有利な都心立地と郊外駅近立地のマンションが脚光を浴びるようになってしまった。
「OHANA」が目指す「家族の幸せや、家族、隣人との絆を大事にするマンション」とは異なる方向の動きである。
しかし、「OHANA」の理念は、ぶれることがなかった。